スマホになって自由が減った

ガラケー(フィーチャーフォン)の方が良かった事って多々ありますよね。

 

まず筆頭が文字入力。

物理ボタンの方が押しやすかったですね。

Webページのユーザーインターフェースとしても、下キーを押していれば、選択可能なボタンが順番に選択されていったので分かりやすかった気がします。

 

スマホ向けのWebページはどこをタップするとプルダウンメニューが展開されるのか、画面のどの領域にリンクがあるのか明示されていないから不親切に思えることもあります。

 

ユーザー目線と言うよりは、メーカー目線でユーザーインターフェースが押し進められている様に思えます。

 

 

後、日本語入力の変換も弱いですよね。

ガラケーの方が変換は強かった。

ガラケーの頃は使用していればどんどん使いやすくなっていったのに、なぜスマホになってより不便になるのか。

 

 

また最近スマホのアップデートがあったのですが、これも有無を言わさずに無理やり変えてくるというのに、勝手にアイコンの色味とかを変えてくるんですよ。

前の方が良かったので勝手に変えないで欲しかったのですが、

このようなこちらの使用感に関わる変更を、こちらの意思に構わずに、機械的に押し付けてくることは不愉快ですね。

 

まぁそれを言うならスマホに限らず、Windowsでも同じ様な事はありますが。

 

何と言うか、人の家に勝手に上がり込んで、勝手に改築をして去っていく様な、そんな無礼さを感じます。

 

基本的にはこっちが普段使いしている様なプライベートな領域(スマホを使っている以上「プライベート」など無いかもしれませんが)には入って来ないのが礼儀だと思うのですが、嫌なものですね。

 

ミスチルって今考えるといい歌歌っていたなぁ

小学生高学年くらいから、中学生くらいまでの間はミスチルが大好きでした。

 

でも高校生くらいからあまり聞かなくなって、高校を卒業するくらいになると、何となくミスチルの歌詞が幼稚な社会批判の様に感じてきました。

 

あの頃は、背伸びして大人らしくなりたがっていた時期なので、そういった子供じみているような、わがままを声高に叫んで陶酔しているようなものに嫌悪感を感じたのだと、

今になってみると思います。

 

しかし今大人になって、

ふと、久しぶりにミスチルの歌を聞いてみたら心に刺さりましたね。

 

若い頃には「不満を叫ぶことで満足していないで、自分で努力して不満を解消すればいいんだ」と思ってましたが、社会に出るとそうも上手くは行きませんね。

 

自分が全能でない以上は、自分に出来ることは限られていて、

また自分を取り巻く環境も、

必ずしも、学生時代に当然視していたような理想的な、調和的なものではなく、

寧ろ抑圧的で、ストレスフルな場合がデフォルトであるように思えますね。

 

そのような中で暮らしていると、自身が普段感じているような不満や苛立ちを、声高に表明してくれる、代弁してくれる存在は非常に尊くありがたいものに思えます。

 

「辛く苦しいのは自分だけではないのだ」と、心理的な孤独や孤立が解消された時のリリーフ(安心感)で、私はどれほど救われたことがあったでしょうか。

 

能うならば、今後は自分が苦しむ人の、過去の自分の様な人達の、アドボケータ(代弁者)になりたいですね。

 

人にされて嬉しかった事を、また別の他人にしてあげられるような人間になって死にたいですね。

 

寿命の内にそれが出来るようになりたいです。

内言は心を毒するか

内言ってありますよね??

 

口に出さずに心の中だけで自分に向けて話すあれです

 

あれをしすぎると気分が落ち込み始める気がします

 

内言を言うくらいなら、まだ独り言を言って実際に口や喉や腹を動かしていた方が、気分的に明るくなる気がしますね

 

 

 

 

ブログを始めてみた

とりあえず気になっていることを幾つか書きます。

  • 半沢直樹』は銀行業界へのレクイエムだったのか
  • 内言を呟くと精神を害する気がする
  • 大人になってミスチルを聞いたら歌詞が心に刺さった

 

半沢直樹』は銀行業界へのレクイエムだったのか

半沢直樹』ってドラマがありますよね。お正月に芸人さんが真似して笑いを取っていましたけど。

ふと気づいたのですが、ああいった人間味のあるバンカーが活躍するって古くないですか??

YouTubeでロシアの国営銀行がこれまでの銀行とは思えないくらいに様変わりしているのを見たことがあります。

ATMでは顔認証を用いていて、手ぶらで来ても顔を見せればお金が下ろせたり、

銀行の内装もデスクやカウンターを排して、カフェテリアの様なシンプルなものにしたり、

銀行内にコンビニの様な区画を設け、顔認証技術を用いて、デビットカードを利用した決済の様に、直接自分の預金口座から代金が引き落ちる形で決済を行えたり、

未来の世界の様な印象を受けました。

 

それを思うと、日本で半沢直樹の様なドラマが流行ることを見て、「未来よりもみんな過去を見ているのかな」と思う次第です。

あんなロシアの銀行みたいな事を日本が最初にやって、世界を驚かせて、どんどんリードしていけていたら最高だったのになぁ、と残念に思います。

 

これから銀行業界が変わると言われ、

安泰な職業だと認識されていた銀行員が大量にリストラされるかもしれないと報道される中、

半沢直樹の様な銀行業界の過去の栄光を煌びやかに演出するかのようなドラマがウケたという この事が

私には日本の銀行業界全体のレクイエムの様な気がしてなりません。