ミスチルって今考えるといい歌歌っていたなぁ
小学生高学年くらいから、中学生くらいまでの間はミスチルが大好きでした。
でも高校生くらいからあまり聞かなくなって、高校を卒業するくらいになると、何となくミスチルの歌詞が幼稚な社会批判の様に感じてきました。
あの頃は、背伸びして大人らしくなりたがっていた時期なので、そういった子供じみているような、わがままを声高に叫んで陶酔しているようなものに嫌悪感を感じたのだと、
今になってみると思います。
しかし今大人になって、
ふと、久しぶりにミスチルの歌を聞いてみたら心に刺さりましたね。
若い頃には「不満を叫ぶことで満足していないで、自分で努力して不満を解消すればいいんだ」と思ってましたが、社会に出るとそうも上手くは行きませんね。
自分が全能でない以上は、自分に出来ることは限られていて、
また自分を取り巻く環境も、
必ずしも、学生時代に当然視していたような理想的な、調和的なものではなく、
寧ろ抑圧的で、ストレスフルな場合がデフォルトであるように思えますね。
そのような中で暮らしていると、自身が普段感じているような不満や苛立ちを、声高に表明してくれる、代弁してくれる存在は非常に尊くありがたいものに思えます。
「辛く苦しいのは自分だけではないのだ」と、心理的な孤独や孤立が解消された時のリリーフ(安心感)で、私はどれほど救われたことがあったでしょうか。
能うならば、今後は自分が苦しむ人の、過去の自分の様な人達の、アドボケータ(代弁者)になりたいですね。
人にされて嬉しかった事を、また別の他人にしてあげられるような人間になって死にたいですね。
寿命の内にそれが出来るようになりたいです。